百寺巡礼 第三巻 京都Ⅰ① 五木寛之 講談社文庫
大好きなエッセイ、第三弾。今回は私にはなじみの深い京都です。
相変わらずダンディで素敵な五木先生のお写真に見とれながら読みました。
第二十一番 金閣寺
美しく金箔をはった建物に、手前に広がる池が、鏡のようにその姿を映しています。
権力と欲の塊のような足利義満が建て、当時はもっと贅沢な建物がたくさんあったそうです。
当時、京は飢饉で人が大勢死んだというのに・・・・
しかし義満が死んだあと、その息子が、金閣とごく一部を残してみんな壊してしまったとは、知りませんでした。
第二十二番 銀閣寺
金閣と比較されることが多いですが、全く対称的と言っていいでしょう。
別に建物に銀が貼ってあるわけではありません。
8代将軍足利義政が建てましたが、飢饉でひどい時代、政治も上手くいかず、妻の日野富子は好き放題、何もかもイヤになったそうです。
そこで、この銀閣を造らせ、その中の四畳半の部屋に閉じこもっていたそうです。
将軍なのに、四畳半とは・・・・
なんとも将軍らしからぬ、暗~い日々を送っていたのですね。
第二十三番 神護寺
神護寺は、神願寺と高雄山寺が合わさってできた寺です。
最長は高雄山寺で名声を高め、その後、空海が住みました。
ここに、作成されたのが8世紀から9世紀という薬師如来像があります。
古い古い像で、いろいろな目に合われてきました。
神護寺が荒れた時は、雨さらし、野ざらしの目にも合われたこともあります。
像は神護寺の返還と共に、様々な人々の人生を見守り続けてきたのです。
第二十四番 東寺
最初は迎賓館として立てられ、後に桓武天皇が寺に変え(という説があります)密教とは無関係でしたが、空海に下賜されました。
金堂はまさに曼荼羅を立体にして、講堂一杯に大小さまざまな仏像が安置されています。
空海はここを真言密教の道場とし、たくさんの僧がここで学びました。
五重塔は天災や人災によって何度も何度も焼けてしまい、都度、時の権力者によって再建されてきました。
もの言わぬ歴史の証人なのです。
第二十五番 真如堂
本堂にある、本尊の阿弥陀如来像は「うなずきの弥陀」として知られています。
阿弥陀如来は、最長の弟子である円仁の夢の中で「あらゆる生きとし生けるもの、とくに女人を救いたい」と申されたそうです。
この真如堂のすぐ近くの庵で、法然は浄土宗を開き、親鸞もここにこもりました。
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