百寺巡礼 第二巻 北陸② 五木 寛之
2003年9月30日 講談社
第十六番 瑞泉寺
城下町は城が中心ですが、寺内町は「寺の内の町」で、寺と町とは一体であり、寺も町も一緒に守られているそうです。
すばらしい伽藍があり、見事な木彫りがいたるところに施されています。
この町は寺と共に生き、寺とともに滅ぶ。そんな信仰によって、民衆の大きなエネルギーが燃えあがっていた場所でした。
第十七番 永平寺
道元が開いた厳しい修行道場です。
堂々として、貫禄たっぷりの大寺です。
禅の考え方である、人間の生活のすべてが修行ということが、この寺では実践されています。
雲水さんたちは、ここで日夜修行に励んでいます。
もちろん一般の人も、宿坊に泊まって座禅ができ、精進料理もいただけるとのことです。
雲水たちの修行よりはだいぶ楽だそうです。
雲水たちは朝3時に起き、早朝の座禅、勤行から「作務」と呼ばれる掃除や除雪などの仕事が絶え間なく続きます。
食事の時も話してはいけない、一人一人の空間は「座って半畳、寝て一畳」、携帯もなし、テレビもなし。
本だけはかまわないとか。
生活の要求水準を低く保つということは、いつも幸福を感じていられるということ。
「足るを知る」ということが大切なのです。
第十八番 吉崎御坊
ここはお寺ではなく、お寺の跡地になっています。
ここは蓮如が吉崎御坊を建立し、熱狂的な信仰のブームが起こり、「幻の宗教都市」となりました。
日本各地の真宗寺院から門徒たちがツアーを組んでやってきて、多屋と呼ばれる宿がたくさんありました。
また、旅の遊芸人や大工や庭師、鍛冶屋などもたくさん集まり、宗成人商店が増え、更にそのうわさを聞きつけ、漁師や山伏、その他いろいろな人がやってきました。
しかし急激に大きな繁栄が起きると、弾圧されるものです。
蓮如はわずか4年吉崎にいただけで、立ち去ることとなります。
しかし吉崎の人たちは今でも「蓮如さん」と呼んで親しんでいるのです。
第十九番 明通寺
勇壮で男性的な力強さを持つお寺です。
開いたのは坂上田村麻呂で、娘の無事な出産と、自分が殺戮した蝦夷の魂を弔うために建立したと言われています。
本尊の薬師如来像の左側は、非常に珍しい「深沙大将立像(じんじゃたいしょうりゅうぞう)」。
頭の上にはどくろ、左手にはヘビ、お腹には人面をつけていて、怒った顔をしているのですが、なんとなくかわいいです。
その本堂の内陣の柱にブッダの言葉「殺すな、殺させるな、殺すことを見のがすな」が描かれた紙が貼ってあります。
坂上田村麻呂がこの寺を建立したのは、このような想いがあったのかもしれません。
第二十番 神宮寺
東大寺のお水取りの時、香水を届ける「お水送り」を行うお寺です。
この神宮寺から送られた水でお水取りを行うのです。
門にはなんと、注連縄が貼られています。本堂の正面にも。
ここは「神仏混交の寺」なのです。
よく明治時代の神仏分離の時、無事に残ったものです。
本堂の中でも、神と仏が共存しています。
個々の薬師如来坐像は普通の状態では柔和なお顔をしていますが、下から光を当てると、こちらを見据えているような、厳しいお顔になるとのことです。
立って同じ目の高さで拝する一般の人には優しく、近くに座る僧侶には厳しくなるように作られたそうです。