百寺巡礼 第三巻 京都Ⅰ② 五木寛之 講談社文庫
さて、続きです。
第二十六番 東本願寺
親鸞は、旅をしながら布教し、死んでも石碑は簡素なものでした。
それを六角の廟堂を建てて移したのが、本願寺の元となる大谷廟堂です。
親鸞の教える「他力本願」とは、「わがはからいにあらず」つまり「なるようにしかならない」、さらに「しかし、おのずと必ずなるべきようになるのだ」とこころのなかでうなずきます。
すると不思議な安心感がどこからともなく訪れてきます。
決して「他人任せ」「無責任」ということではありません。
第二十七番 西本願寺
大きな勢力を持つようになった本願寺派、織田信長によって敷地を狙われ、長い争いの末、敷地を明け渡しました。
その後、京都移転を命じられ、今の西本願寺ができました。
ところが信長に最後まで抵抗しようとした勢力が、分立したのが東本願寺です。
西本願寺の敷地内に龍谷大学があり、五木先生は50歳のころ、聴講生として通われ、仏教を学んだそうです。
第二十八番 浄瑠璃寺
仏の悟りによってつくられた清らかな国土を浄土といい、将来悟りを開いて仏になろうと修業の途中にある菩薩が住まわれるところです。
人々に命を与えて、この世に次々と生命を送り出すのが、東方浄瑠璃浄土であり、そこを司るのが薬師如来です。
そして死んだ後の魂を迎え入れるのが極楽浄土で、池を挟んで此岸と彼岸として向き合っているのが浄瑠璃寺です。
この世は常に苦しみに満ちていますが、薬師如来はこの苦悩の世界を少しでも浄めながら、それを乗り越えて理想に向かって成長する生き方ができるように助けてくれる仏であり、そうして必死で生きてきた人間を西方浄土の阿弥陀如来が迎え入れてくれる。
という仏教の偉大な物語を表しているのです。
第二十九番 南禅寺
石川五右衛門が潜んでいたという伝説があります。
南北朝時代に波乱の人生を送った亀山法皇が、禅寺に改めました。
その後「五山之上」という別格扱いの寺院のトップにまでなりますが、度重なる火災で壊滅的となります。
徳川家康の時代、ここで預けられて育った以心崇伝が住持を務めました。
この人は家康に重く置かれ、例の、豊臣に因縁をつけたあの鐘も崇伝が立案したとか。
とにかく家康に忠実な人でした。
第三十番 清水寺
「今昔物語集」にこの寺の参詣者のことが書かれているそうです。
大半は名もなく貧しい女性たちで、今日明日の生活のため「なんでもいいから少しでもご利益を」と真剣にかきくどきました。
またこの寺は、いわゆる悪所に囲まれており、地獄のようなところを通り抜けてたどり着く、聖なる丘でした。
清水寺はどんな人も受け入れ、どんな願いにも耳を傾け、かなえようとしました。
人々の心のよりどころとして、親兄弟や友人のように近しい存在なのです。
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