推し、燃ゆ 宇佐見りん 河出書房新社
ネタバレしていますので、嫌な方はご注意ください。
本年度芥川賞受賞作ですので、ご存じの方も多いでしょう。
若干21歳という若さで受賞されたそうです。すごいですね。
思ったより、短い作品。あっという間に読めてしまいます。
・・・・・・・でも・・・
う~ん・・・ちょっと・・・という感じです。
いや、文章とか文面とかではなく、かなり今どきの子の話で、おばさん咲紗にはついていけなかったというか・・・・・
まあ、主人公の性格とかは賞には関係ないですからね、あくまでも文体とかそういうものが評価されるわけですから。
ただ、あまりにも今どき過ぎて・・・・携帯やらSNSやらにどっぷりつかっている若い子ってこういう文章書くんだな、と知りました。
「推し」というのは、好きな芸能人のファンともまた違うし、追っかけとも違うし、なんというかその・・・・
まあ、アイドルグループの中でこの人、という風に「推す」ことらしいです。
要は「嵐」の中でだれとか、欅坂48のなかでだれとか、そんな感じ・・・なのかな?
とにかくこの主人公、あかりは、そんな風にアイドルグループの中の一人真幸くんを「推し」ていて、どっぷりつかっている生活を送っています。
やはり咲紗は、あかりと同年代の子供の母親なので、どうしても母親目線でこの子を見てしまいます。
はっきりいって、蹴っ飛ばしたいですね。
「推す」ことしか一生懸命にすることができず、努力することもできない、いや、本人はやってるつもりなのかもしれませんが、はっきり言って甘ったれています。
お姉さんがそれをとがめると「一生懸命やってる」とあかりは言い返しますが、姉はおこります。そりゃそうでしょう、お姉さんの気持ち、わかります。
自分のことも満足にできないあかり、病気持ちらしいですが、「推し」があんなに元気いっぱいできるのだから、病気は言い訳にできませんね。
「推す」こと以外はあとはダメダメ。勉強もついていけず、高校も結局中退してしまい、かといって働くわけでもなく、就活するわけでもなく、「推す」のみ。
最後、「推し」の真幸くんは芸能界を引退します。
このアイドルの子の方が、あかりよりよっぽどまともだと思うのですが。
あかりはいいます。
死んだあと、自分の骨は自分で拾えない、と。
部屋にある綿棒を投げて、散らばったそれを拾うことで自分の骨を拾ったように感じ、今までの「推し」生活が終わり、自分も終わったことを感じる彼女。
二足歩行は向いていない。這いつくばりながら生きるしかないのだ、と。
それが自分だ、と。
この子にとっては「推す」ことが自分の生きる道、自分というものを実感する唯一のものだったのでしょう。
・・・・・・理解できません。
だめですね、どうしても母親目線で読んでしまうので。
きっといろんな世代、いろんな立場の人が読めば、それぞれ違った読み方をするのだと思います。
咲紗はこういっているけど、自分が読んだらどう感じるのかを知りたい方は、ぜひ一度読んでみてください。
呼んだ作品はあまり悪く書かない、というのがモットーの咲紗ですが、ちょっと今回は正直に書くと、かなり批判的になってしまいました。
いや、作品自体は、なかなか文章も繊細だし、この年齢にしてこれだけの作品を書くのはすごいと思います。
咲紗がいやなのは、このあかりの人間性なのです。
今の若い子ってこんなんなのかなぁ・・・。
こんな「推し」ている子供を持ったら、親は大変ですね。
よく、温泉アイドルを追っかけるおばちゃん達とか、ファン投票でCDを何百枚も買って投票するとか、そういうの私は一切理解できないので、なおさらこのあかりの「推し」が理解できないのだと思います。
ああ、「推し」とかが理解できる方、ごめんなさい。
咲紗はこういうのが理解できないおばさんなので、このブログにカチンときても見逃してくださいね。
また何年かたって読み返したときに、咲紗もまた違った立場になっているでしょうから、また違った読み方ができるかもしれませんね。
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