ローマ人の物語 Ⅷ 危機と克服① 塩野七生 新潮社
ネロが死んだあと、アウグストゥスの血を引く者が皇帝となる時代は終わりました。
しかしここから、混迷の時代が始まります 。
結局、思いもかけず皇帝になった人間は、良き政治を行うことよりも、自分の立場に溺れることが先のようです。
ネロの後、皇帝になったガルバは、上流貴族の出身ではありましたが、しょせん皇帝の器ではありませんでした。
結局わずか半年にも満たず、ガルバは殺されます。
ガルバを殺して皇帝となったオト―は、ネロの友人でしたが、なんとそのネロに奥さんであったポッペアを取られたという過去がありました。
彼も皇帝の座を狙うヴィテリウスとの戦いで敗れ、わずか3か月、何もしないまま終わりました。
その後のヴィテリウスも、これまた全然ダメでした。
世は、ヴェスパシアヌスを皇帝にという動きが始まりました。
なんだかこれを見ると、かつて日本でも、民主党が政権を取った時、数か月単位でコロコロと首相が変わった時期を思い出しますね。
あれはひどかったし、ローマもあんな感じだったのでしょう。
この内乱も、ヴィテリウスが殺され、ヴェスパシアヌスが皇帝になったことでようやく少し落ち着きます。
このヴェスパシアヌス(ああ、めんどくさい)、いたって常識的な人だったようです。
一年のうちに3人もの皇帝が次々と死んだローマは、この機会にと周りの部族の反乱が次々と起こりました。
ゲルマンのバタヴィ族の反乱、そしてユダヤ人の反乱。
何とかそれを抑え、極めて常識的にローマを再建したヴェスちゃん。
彼は約10年がんばって病死し、その長男ティトゥスが皇帝となります。
このティトゥスはいい人で、一生懸命頑張りましたが時期が悪かった。
自然災害が次々と起こり、あのポンペイもこの時期です。
ティトゥスは自ら被災地に行き、がんばりましたが、わずか2年で、まだ若いのに病死してしまいました。
その後を継ぐのは弟のドミティアヌスなのですが、彼については次にまたお話します。
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