ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち⒄~⒇ ① 塩野 七生
2005年9月1日 新潮文庫
長い「ローマ人の物語」もようやく中盤まできました。
今まで順調に発展してきたローマですが、この辺からだんだん怪しくなってきます。
いや、国はいいのですが、治める人が・・・。
それでは、アウグストゥスより後のローマの皇帝たちを見ていきましょう。
2代目皇帝 ティベリウス
初代皇帝アウグストゥスは、自分の血をひいたものを後継者にすることにこだわりましたが、そうなると中にはやはり、能無しも出てきます。
ティベリウスのように実力はあっても、血のつながりがないことで国民にさえも冷遇された人もいます。
ティベリウスは以前はあんなに人気があったのに、どういうわけかすっかり嫌われ者になってしまいました。
この人は本当に真面目、ストイック、堅物な人であったと思うのですが、何しろかわいそうすぎます。
パクス・ロマーナでも書きましたが、愛する奥さんと無理やり別れさせられ、嫌いな女と結婚させられ、挙句の果て別居したまま二度と会わなかったという経験から人生が狂ってしまいました。
その後、愛する弟にも先立たれ、全てを引退して引きこもってしまうのですが、おそらく何もかもイヤになり、うつ病っぽくなってしまったのかもしれません。
アウグストゥスの後を継ぐため復帰させられますが、アウグストゥスの本心は見え見え。
アウグストゥスの姉の孫のゲルマにクスを養子にさせられたことからもわかるように、本当は自分の血のつながったゲルマニクスを後継者にしたいけどまだ小さいから、仕方なく一時的にお前にしておくからな、という意図でした。
国民からも「どうせつなぎでしょ」としか思われませんでした。
ティベリウスにもゲルマニクスと同年代の息子はいるのですが、陽の目は当たりませんでした。
それでもティベリウスはがんばりました。
がんばってローマの平和を保ち、国家の財政も引き締めたため、大幅な黒字となりました。
その代り、国民の娯楽をずいぶんやめたため、国民からは「ケチ」と呼ばれました。
そうこうしているうちに、あのゲルマニクスが成長します。
非常にイケメン、性格も良くみんなに好かれ、なかなか武将としても優秀、スター性もあり国民からはカリスマ的人気を誇っていましたが、なんと急死してしまうのです。
当時オリエントに派遣されていたゲルマニクスですが、そこでシリア総督のピソと仲が悪く、彼が毒殺したと言われました。真相は謎のままです。
ピソは自死しますが、ゲルマニクスの妻、アグリッピーナは、ティベリウスがピソにやらせたと思い、事あるごとにティベリウスに対抗するようになります。
反ティベリウス派を組織し、ティベリウスにとっては非常にうっとうしい存在となります。
そんなティベリウスにとっての心の支えは、息子のドゥルーススだけでした。
ドゥルーススもなかなか優秀な武将でしたが、彼もなんと急死してしまいます。
ティベリウスはローマを離れ、カプリ島に引きこもり、そこから政治をするようになります。
全てが嫌になってしまったのでしょうね。かわいそうに、その気持ちわかります。
カプリ島での彼の生活は、身近な奴隷だけを連れ、非常に孤独なものだったようです。
しかしその後、ドゥルーススは、近衛隊長のセイアヌスと、彼と浮気していたドゥルースス自身の妻の手によって殺されたことがわかります。
しかしセイアヌスはこの時すでに、国家反逆罪ですでに処刑された後。
いくら処刑されたとはいっても、息子殺害の罪で裁くことはもうできません。
嫁は流刑にしましたが、ティベリウスとしては、もはや復讐することすらできません。
ここでついに、いろいろなことに耐え忍んできたティベリウス、ブチ切れます。
国家反逆罪として、セイアヌスに関わりがあったものを全てメチャクチャに殺しまくりました。
家の奴隷ですら殺しまくったそうです。
そうとうのブチ切れぶりですね。
そりゃ無理ないですよねぇ・・・。かわいそう、ティベちゃん。
その後ティベリウスは孤独なまま、カプリ島からの政治を続け、77歳で亡くなりました。
後継者は、亡きゲルマニクスの遺児、カリグラ。
後継者になることは決まっていたようで、ティベリウスがカプリ島に呼んで教育していたようです。
母親のアグリッピーナと2人の兄は、国家反逆罪として流刑にされ、すでに死んでいたので、家族には恵まれていなかった青年でした。
3代目皇帝 カリグラ
このカリグラという名前、本名ではありません。
彼は2、3歳の時、父ゲルマニクスの任地で、幼児用のカリガというローマの軍靴を履いて遊んでいたのを見た兵士たちにかわいがられ、カリグラ(小さな軍靴)と呼ばれたのでした。
まあ、その名前はかわいいのですが、この人がいけなかった。
皇帝になった時、カリグラはまだ24歳。
彫像を見ても、非常にイケメンです。
そもそもこのアウグストゥス一族、非常に美形ぞろいだったようです。
アウグストゥス自身も若い時は美しかったそうで、彼は自分の彫像は若い時のものしか作らせなったとか。
死んだゲルマニクスもイケメン、母アグリッピーナも彫像を見るとなかなかの美人です。
カリグラが皇帝になった時、ローマはアウグストゥスとティベリウスの努力によって平和は保たれ、お金もたっぷり。
日本で言うと、アウグストゥスが徳川家康、ティベリウスが秀忠、カリグラは家光または綱吉といったところでしょうか。
ローマ市民は、人気のあったゲルマニクスの息子ということでまだ何もしていないカリグラを熱狂的に歓迎しました。
カリグラはその人気を失うのが怖かったのか、人気取りのためにお金を使いまくりました。
人気なく「ケチ」とののしられたティベリウスを間近に見ていたということもあるのでしょうが。
まだ公共事業にお金を使うならともかく、わけのわからない派手なパフォーマンスをふんだんに行い、湯水のようにお金を使いました。
エジプトからオベリスクを持ってくることを思いつき、それを折らないようにするため、ものすごい大きくて立派な船を作らせたりなどしました。
3年もしないうちに国家の財政は破綻まで落ちました。
この人の一番いけなかったところは、自分を「神」として扱わせたことにあります。
カエサルもアウグストゥスもあれだけローマのために尽くしたという実績があるからこそ「神君」と呼ばれたのです。
カリグラは何もしていないのに、自分を「神」扱いさせたのです。
「神」として自分の彫像をありとあらゆるところに立てさせまくり、挙句の果ては自分の妹達まで神として扱わせました。
平和だったローマの周辺もカリグラのアホな外交のせいで、だんだん怪しくなっていきました。
ローマにはユダヤ人もたくさんいましたが、ユダヤ教というのはただ一人の神しか存在せず、モーゼの十戒にある通り、ほかの何物も神としてはならないという教えがあります。
カリグラはこれも思いっきり無視し、よりによってエルサレムの大神殿の真ん中に自分の彫像を神として立てるよう命じました。
そんなこんなで、ついにカリグラは暗殺されました。
まだ28歳の若さ。皇帝になって4年しかたっていませんでした。
エルサレムの件はカリグラの死によってうやむやに終わりました。
彼はまだ若かったことと、あまり女には興味がなかったようで離婚ばかりしていたため、死んだときは女の子の赤ちゃんが一人いるだけでした。
彼が殺されたとき、当時の妻とその赤ちゃんも一緒に殺されたので、後継者は彼の叔父にあたるクラウディウスが祭り上げられました。
さて、この続きは次回にします。