神坐(かみいま)す山の物語 浅田 次郎
2017年12月17日 双葉文庫
「シェエラザード」であまりいい印象のない浅田次郎先生ですが、この作品はぜひとも読んでみたくて、文庫本を探していてついに読めました。
・・・が、やっぱり私、浅田先生ちょっと苦手かも・・・。
浅田先生ファンの皆様、ごめんなさい。
この作品の内容自体は非常に面白いです。期待は裏切りませんでした。
日露戦争時くらいの時代で、しかも山の上の由緒ある神社の神官の家にまつわる不思議なお話の数々。
しかもこの神官の家は、浅田先生ご自身の母方の家の事で、ほぼ実話だそうです。
なんですが、なんて言うか・・・古い時代のものということを意識していらっしゃるのか、やけに旧漢字や古い言い回しを使っていて、こっちは読めないし、意味わからないし・・・
なんだかご自身のそういう知識をひけらかしているように感じるのです。
またご自身の家の自慢も若干入っているようで、鼻につくのです。
でも内容は非常に興味深いものです。
神官の家に生まれたせいか、見えないものを見てしまう力が、主人公(作者)も含め、この家には何人かいたそうです。
ここに現れる霊たちの何と悲しいことか。
神官として立派な人生を送ったはずの伯父の霊。
203高地の兵隊さんたちの物語。これはちょっとびっくりしました。
1人の脱走兵を追って隊の人たちが来ますが、最初この脱走兵が霊かと思いましたが、霊なのは隊の人たちの方でした。
あの人たちは、今でもまださまよい続けているのでしょうか・・・。
天狗にさらわれた伯母さんや、一緒に遊んだいるはずのない少年。
修行させてほしいと言ってやってきた修行僧とその末路。
そして・・・あの狐憑きの話は何だったのだろうかと考えさせられます。
脳炎の一種とも考えられているらしいのですが、不思議です。
そしてこの山の上の神社と、人々と、山の上の空気はそれに反して清々しく、まさに神様と一緒に生活をしているという感じです。
そこで起こることは、今ではちょっと信じられないけれど、科学では証明できないようなことばかりです。
昔の人の、神を恐れ、神を敬い、一体化して生きる、その生活の美しさは見習いたいですね。