陰陽師 飛天ノ巻 夢枕 獏
1998年11月10日 文春文庫
やっぱり面白いです!陰陽師。
平安時代の話で、妖の話なのにとってもオシャレな気がするのは私だけでしょうか。
とにかく、清明と博雅の2人の関係と会話が本当にいいのです。
博雅は何かあるとすぐ清明の屋敷にやって来て、すぐに用件は言わず、ゆっくりと酒を飲み、庭を愛でて、それからおもむろに話し出す・・・というパターンです。
清明も決してせかしたりはしません。何の用事できているのか察知しているようなのですが、決して自分から問うことはしません。
酒の肴は季節の、とてもシンプルなもの、清明の庭は一見荒れ放題のように見えるのですが、その実ちゃんと計算されている、とてもシンプルなものです。
それにこの小説の中では酒を飲むときは、ほろほろと酒を飲む、と表現し、歩くときは、ほとほとと歩く、牛車の歩みもほとほと、と表現しています。
なんといい的確な言い回しでしょうか。
ゆったりとした時間の流れが目に見えるようです。
ほろほろと飲む、というのは決して今の人たちのように飲みすぎたり、ましてや一気飲みなどとはほど遠く、適度にほどほどに楽しみながら飲んでいるのがよく表現されています。
ほとほとと歩くというのも、現代人のようにせかせかしておらず、周りの景色を楽しみながらゆったりと歩いているのがよくわかります。
実にうらやましい、と思います。
私達が急いでしまうのはなぜでしょうか。
それは時間に追われているからです
急がないと、バスに間に合わない、電車に、会社に、学校に間に合わない・・・
咲紗は金融業界に努めていますので、仕事も正に分単位。
常に時間との戦いです。
そして現代は何もかもが過剰です。
溢れる物品もそうだし、今回のコロナ騒動でも痛感しましたが、情報の過剰さにはほとほと疲れます。
マスコミに何かが不足しそうだと言われれば、スーパーでそれを買いあさり、あっという間に品薄になるという最近の傾向。
食品を買いあさっては腐らせて捨ててしまう。とんでもない愚かなことだと思います。
まさに情報に踊らされているといった感じです。
禅の本でも学びましたが、不要なものを手放し、足ることを知るのが幸せであるというのが、本当の真理でしょう。
平安時代は実にシンプルです。
しかしそんな時代でも、人の心の中にある闇はどうしようもなく、それがあるときは鬼となり、ある時は物の怪となって現れます。
特にこの時代は、女性にとってとてもつらい時代ですから、女性の恨み、怨念といったものが鬼となって現れることが多いですね。
伝記も水道も、発達した医学もない時代。
それでも現代の私達よりは豊かな時代だったのかもしれません。