王妃マリー・アントワネット 上・下巻 遠藤 周作
1985年3月25日 新潮文庫
あまりにも有名な、王妃マリー・アントワネットとフランス革命。
この本は史実通りのことと、フィクションが少し入り混じっているようですが、大半は事実のようです。
あまりにも華やかなヴェルサイユ時代と、革命後の囚人としての生活・・・。
このマリー・アントワネットという人は、大体どの本にも、テレビのドキュメントでも言われていますが、若い頃はあまり物事を深く考える人ではなかったようです。
市民の生活がどのようなものか、もう少し考えてみようという態度があれば、ギロチン送りにはならなかったのでは、と思われます。
ただ、まだ十四歳でたった一人、オーストリアからフランスへやってきて、頼る人の一人もいない生活。
今と違って、昔はお母さまとも手紙のやり取りのみ。
どんなにか孤独で寂しかったことでしょう。
その寂しさゆえに、そして彼女のもともと遊び好きな性格が災いして、破滅の道を突き進んでいってしまったのではないでしょうか。
この本では、華やかなヴェルサイユ時代のことは若干省かれているところが多く、トリアノン離宮のこともあっさり書かれています。
しかしその後の有名な首飾り事件、革命に至るまで、ヴァレンヌ逃亡は非常に詳細に描かれています。
アントワネットの愛人であったフェルセン侯爵。この話ではその愛はプラトニックなものとして書かれていますが、それでも彼は無償の愛を彼女に注ぎます。
しかし、やはり彼もスウェーデン貴族のボンボン育ちなので、ヴァレンヌ逃亡の計画は、かなり甘さがあったと言わざるを得ません。
何しろ彼自身、馬車の操り方に不慣れだったということですから、これがもう少し世間にたけた人物なら、この逃亡は成功したでしょう。
でも彼の、王妃を救おうと必死になるその一途な心には胸を打たれます。
贅沢の限りを尽くしたアントワネットも、革命後はすべてを取り上げられます。
その落差はあまりにも大きく、彼女はそのことについてどう思っていたのでしょうか。
息子を奪われてしまったことは、同じ母として、あまりにもかわいそうです。
その息子が、母親から離された後、どんな過酷な運命をたどって死に至るかを現在の私たちは知っているだけに、なおさら辛いですね。
私は昔、ヴェルサイユ宮殿に行ったことがありますが、そのあまりの贅沢さにちょっと戦慄が走りました。どれだけお金を使ったらこんな風になるのか。
特にあの庭。あれはすごすぎます。恐ろしいまでです。
よくこんな贅沢を、平然とできたものだと思います。
国民が怒るのも無理はありません。
が、革命というのはやはり恐ろしいもので、一度暴走したパリ市民たちは、意味のない残虐な殺戮を繰り返し、獣のようになっていきます。
もはやだれにも止められない状態となり、いったいこれがどんな風にしておさまっていったのか私にはわかりませんが、時間がかかったでしょう。
アントワネットは、その獣と化した市民たちの中で、ひたすら美しさと優雅さを失うまいとします。
それが市民たちに対する、彼女の唯一の武器なのです。
どんな時でも心を大切に。それを子供たちにも言い聞かせ、その言葉通りに最後までふるまいます。
もはやその態度の中には、あのヴェルサイユ時代の軽薄で物事を深く考えない王妃の姿はどこにもありません。
彼女は初めてそこで、真の王妃らしくなったと言えるでしょう。
ギロチン台に向かう馬車の中でも、最後の階段を上る時でも、彼女はその優雅さを失いませんでした。
ところで、作者の遠藤周作先生ですが、以前私はこのブログの中で、佐藤愛子先生のエッセイのファンだということをお話ししたと思いますが、そのエッセイの中にも遠藤先生がしょっちゅう出てきます。
遠藤先生と愛子先生は、学生時代からの知り合いだったようで、遠藤先生はなんかものすごく臭くて、そばを通るとプンと臭うことから「ソバプン」と呼ばれていたとか、愛子先生の同級生の「タマエちゃん」という子が好きで、気を引こうとバスの中でサルの真似をしていたとか・・・
作家になってからも、様々なおかしいエピソードがあって、それを読んでゲラゲラ笑い転げたものでした。
しかし先生の作品はいたって真面目。敬虔なクリスチャンでもあります。
フランス革命についての、クリスチャンとしての先生の考え方は、修道女アニエスの口から、私たちに向けて語られているのではないでしょうか。
王妃マリー・アントワネット 上下巻セット (新潮文庫え-1-21・22) 【中古】
価格:1000円(税込、送料別) (2019/9/29時点)楽天で購入