そうだったのか!現代史② 池上 彰
2007年3月25日 集英社文庫
さて、続きです。
ベトナム戦争
この戦争も冷戦の犠牲です。北と南に分けられたベトナム。南ベトナムのあまりにも腐敗した政治に南の住民が立ち上がったのを、アメリカは共産主義の手先=ゲリラとしかみなさなかったのです。
アメリカ兵は農民を虐殺し、枯葉剤をまき散らし、残虐な行為を繰り返しましたが、結局勝つことはできず多くの犠牲を払っただけでした。
兵士たちは心も体も傷つき帰って来ても、テレビなどで残虐な行為を知ったアメリカ国民から罵倒され、いる場所を失い心を病んでいきました。
そしてベトナムでも、枯葉剤の後遺症が深刻な問題を引き起こしています。
ポル・ポト
一体この人は何をしたかったのでしょうか。カンボジア国民全員を殺す気だったのでしょうか。字も読めない農民以外は全員知識人として虐殺し、もしベトナム軍が強引にカンボジアに入っていかなかったら、どうなっていたのでしょうか。
読み書きができない国民ばかりだったら、国として成り立たないでしょうに。
ポル・ポト自身は王室につながる家系出身で、フランスに留学までしていたというから、自分自身が一番の知識人じゃないか、と言いたいですね。
ソ連からロシアへ
私自身は、ゴルバチョフは非常に立派な人だったと思っています。彼の功績は素晴らしいです。が、あまりにも理想に燃えすぎ、失脚してしまいました。ソ連がなくなりロシアになりましたが、その後を引き継いだエリツィン、プーチンはまたまた前のような社会主義に逆戻りしています。
ベルリンの壁崩壊
このベルリンの壁崩壊については、私のもう一つのブログ「咲紗の、輝け!キラキラ毎日」に詳しく書いていますので、よろしければ読んでみてください。
壁が崩壊したきっかけが、一人の記者会見担当者が原稿をよく読んでいなかったことから起こる言い間違いだったとは、面白い皮肉です。
天安門事件
この事件は私もニュースで見ていました。多くの学生たちがあれだけ訴えたのに結局は弾圧されてしまい、中国は何も変わりませんでした。戦車に殺された学生たちの無念を思うと、辛くてなりません。