ローマ人の物語Ⅸ 賢帝の世紀① 塩野七生 新潮社
ドミティアヌスが死んだ後、皇帝になったネルヴァは、最初から高齢だったため、1年半で死んでしまいました。
よって特に何をする暇もなかったのですが、悪いこともせず、この人から5賢帝の時代に入ります。
次のトライアヌスは、初めての属州出身の皇帝となりました。
そのせいか、青年期のことはほとんどわかっていません。
父親が軍隊にいたため自分も軍隊に入り、活躍しました。
そして「名誉あるコース」を進み、ネルヴァの養子になり、皇帝となりました。
この人の時代は比較的平和でよい時代であり、皇帝としての人望も厚く人気がありましたが、そうなるとかえって人間は記録に残さなくなるようで、このトライアヌスに関しては、あまり資料がないようです。
良すぎて目立たない、ということでしょうか。
なんかかわいそうですね。
前々の皇帝ドミティアヌスが、記録抹殺刑となっていることから、元老院やローマ市民たちへの配慮は怠りませんでした。
地味、質素、勤勉、奥さんまでそうだったようです。
きっと悪い評判が立たないように気を使いまくっていたんでしょうね。
皇帝たるもの、苦労が絶えません。奥さんも大変です。
しかしなにぶんにも資料が少なく、「トライアヌス円柱」という、今も同じ場所に立っている円柱に、ダキアの反乱を抑えた「ダキア戦記」が彫られているのを見るしかないようです。
当時のローマ軍というのは、どこに行っても、また、たった一晩だけであってもキチンと堅固な宿営地をあっという間に造り、進軍中には木を切り、森を切り開き、道路や橋を造りながら進むのです。
そんなことをあっという間に成し遂げるローマ兵って凄いですね。
皆、土木工事のエキスパートだったようです。
またトライアヌスは、ものすごい数で一大公共事業を行っています。
その他にもいろいろ善政を行ったトライアヌスですが、彼には男の子がいなかったため、ハドリアヌスを養子に迎えます。
トライアヌスの死後、皇帝になるこの少年はなかなかにやんちゃで、トライアヌスを心配させますが、無事成長し、軍隊でも活躍します。
さて、皇帝となったハドリアヌスについては、この続きでお話します。
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